つれづれと

雑食おたくが綴る感想やら独り言やら写真やら。

【感想】うさぎレストラン(2014.2.24 マチネ)

うさぎレストラン
2014年2月19日~24日/六行会ホール
出演:玉城裕規、鳥越裕貴、浦上晟周、桑野晃輔、久保貫太郎、二瓶拓也、佐藤貴史、寿里、/内田春菊

 

見て来ました!
発表されたときから行くしかない!行くよ行くよ!とか騒いでいたんですがいかんせん予定が読めない時期でもう少し経ったらチケット買おう…と思っていたら完売していてびっくりしました。大人気だった。パンフも売り切れでしたしすごかったです。当日券並ぶかなあと思っていたら追加公演が発表されて無事に前売り券を購入し観劇することができました。ありがたかったんですけど、11時台の公演ってすごいですね…キャストやスタッフのみなさん朝からありがとうございました。わたしも寝坊せず行けてよかったです。

 

では以下ネタバレ含む感想となります。ぐっちゃぐっちゃになりそうです。
ところでうさレスを見たあとだと「この感想って自分だけのもの?それとも裏すら読めていないそのまんまの感想?笑われる?変なこと言ってないかな?」なんてことが気になってしまいますがわたしはそれをうさレス現象と勝手に呼んでいます。が、その現象を恐れず好き勝手だらだら話しています。長いです。

 

場所はとあるお屋敷。映画に出て来そうな雰囲気のあるお屋敷。そこに集められたのは童話「うさぎレストラン」の読者のみなさん。そこで童話にちなんだうさぎの料理を食べながら、うさぎレストランについて語ろうというお食事会が開催される。そしてそこには童話の作者である先生も参加。こうして読者と作者のうさぎレストラン食事会が幕を開けるのですが…という内容でした。集められたのは全員男。その時点ですでに怪しいのにどうやらみんなうさぎレストランについて思うところがあるメンバー。それぞれの思う「解釈」でお話が広がっていくワンシチュエーション劇でした。脚本・演出のほさかさん目当てで行ったのですが蓋を開けてみればあっよく見る見る!ってひともはじめましてなひともまんべんなくてそしてどちらにしても新しい発見ばかりがあってとても新鮮でした。


「うさぎレストラン」は童話です。童話と言ってもとっても薄い絵本と表現した方がいいかもしれないものです。…とここまで書いて童話と絵本の違いってなんだ?と思ったので辞書を引きましたがどちらも子供向けに書かれたもので絵本は絵が中心ということらしいです。でもたしか本編中一度もあれを「絵本」と呼ばなかったなあということをぼんやり思い出しました。そしてそのお話をそのまま読み解く人、深読みする人、そんなことする前につまらないと切り捨てる人、いろいろな人が現れます。童話の持つ「裏の意味」を読み取れたかどうか、そんな会話もされていきます。


ひとつめの解釈を発表したのは間。彼はうさぎレストランの作者朝比奈やよい先生の大ファンで、彼女を褒め称えるポジションとして登場します。着ている服もひとりだけきらきらで張り切っているのは憧れの先生に会えるからなのかなと思うとほほえましかったです。間が披露した「解釈」(間のはそのまんまだと怒られ解釈とも言われていませんでしたが)は、「人間死ぬ気になればなんでもできる!」というもの。実際、うさぎは全速力で走れるし、できなかったはずの飛び跳ねもできたし、このままだったら結婚もできるかも、逆上がりもできるかも、そんなことを言いながらお話は終わります。だから間はそれをそのまま受け取った。なんでもできる、なんでもやれる、無気力だったけれど死ぬ気になればなんでもできる。しかしこの「解釈」は八蜘蛛をはじめいろんなひとに馬鹿にされ、間は先生の前で感想を述べる元気すらなくしてしまいます。
さんざん叩かれた間の「解釈」、でもわたしはこの解釈ともいえないような解釈がいちばんしっくりきました。そもそも自分は本の深読みという行為がさっぱりできない人間なので、たぶんこの童話を読み解けと言われても間のような感想すら抱けないかもしれません。「なんか深いかもだけど…よくわかんなかったわ」くらいで終わりそう。だからこの短いお話の中でちゃんとメッセージを見つけ出そうとして、自分で咀嚼して受け取った間はファンとしては最低限の努力をしたのかなと思いました。のちのちこの作品は売れているけれども最高傑作ではないなんて言葉も出てきますが、じつは朝比奈やよいの大ファンである間も、大ファンだからこそそれを感じ取っていたかもしれなくて、それでも彼なりに必死に見つけたこの「解釈」はわかりやすいし、八蜘蛛さんそんなに怒らないであげてよ…とも思いました。


鹿山の解釈。解釈って言うか批判。吾輩はうさぎである~の入りからもう揚げ足取り祭りでいっそ清々しいほどのクレーマーっぷりでした。でもだいぶたった後で実は彼も童話作家だということがわかり、かつては朝比奈やよいの作品を盗作したとも言われている人でした。朝比奈やよいはそんな安い作家ではない!と怒鳴る鹿山は、盗作疑惑のことと重ねて考えればああただ単に朝比奈先生の作品がだいすきなんだなあと思えてほんわかしました。好きだからこそ同業者だからこそ朝比奈やよいらしからぬ作品が売れることが許せなくてわざわざ食事会にまで参加するなんてよほどの…とまで考えましたが彼がいてくれたから話がいろいろな方向に動いてよかったんじゃないかと思います。最後の「作家」と「読者」のやりとりが希望があって好きです。


そして八蜘蛛。彼はうさぎレストランを「ミステリー」と言い切りました。それまで茜や小野瀬も八蜘蛛の言う「裏の意味」にうんうんそうだよねと賛同していたのですが、ミステリーやら犯人やらという言葉が出てきたところで突然怪訝な顔をし始めます。どうやら3人とも解釈が違っていたようで。八蜘蛛が語ったうさぎレストランの「解釈」は壮大でした。ちなみにわたしはこれがいちばんすきです。うさぎレストランとはすなわち獰猛な動物たちが待ち構える場所。そしてそこにいるのはライオン!サル!ワニ!さあうさぎを殺そうとした犯人は誰だ…!?八蜘蛛さんの身振り手振り(では収まらない)フルスロットルで、何度も机や椅子に土足で登っちゃいけませんよと注意したくなりました。どったんばったん飛んで跳ねて転げまわって最高にエンターテイナーしてました。刑事物推理物の物まねオンパレードだったのですが、トリックが入っていたのがうれしかったです。
解釈に関しては、いやいや個人的には最高でした。わたし八蜘蛛さんみたいなひとになりたい。なんで動物がライオンサルワニに限定なのか謎すぎて彼なりのこだわりとかあったら教えてほしいです。最後の最後で八蜘蛛さんが「俺みたいに引き返せなくなる」みたいなことを言うのですがそれを聞いてからあのシーンを思い出すと「自分はこうしなくちゃいけない」と思いながらあえてああいう解釈を演じていたのかもしれないなとも思えてきてしまってちょっと苦しくもなりました。でもあえてだとしても最高に楽しいからあの解釈すきです。


つぎに小野瀬の解釈。まだ15歳だそうです。うさぎ料理を誰よりも楽しみにしていて、早く食べましょうよ食べましょうよと言っていてやっぱり若い子は花より団子なのかかわいいなと思っていたらどうやらそんなかんじじゃなかったです。小野瀬の読み解きはずばりカニバリズム。人が人を食べる的なアレですね。うさぎレストランとはうさぎがうさぎを食べる場所。そしてこのお話の中のうさぎとは人間の比喩である。つまりうさぎレストランは人間が人間を食べるためのレストラン…。それを聞いて安易に注文の多い料理店を思い出したのですが(あれは山猫が人間を食べる料理店ですが)、安易すぎる発想はちゃんと本編のなかで拾っていただけてよかったです。ということはこのあと出てくるうさぎ料理ってつまりそういうことですよね!!!と瞳を輝かせて料理を待つ小野瀬くん…。
カニバはわたしは苦手なので想像するのも怖かったですが、15歳の男の子がそれを期待してこの食事会にやってくるとは…ということが衝撃的でした。クラスのみんなの前でこの感想を発表したら変な目で見られた、と言っていましたがいじめられたから言ったのか、このことを話したからいじめられたのか、それともこれといじめは無関係なのかがちょっと自分ではわからなかったです。別れ際に八蜘蛛に厨二病はちゃんと卒業しろよ、みたいなことを言われてましたが卒業できるかな。ほんとうに中二特有の「僕は周りとはちがう」っていう考えから来ている発想なのか、それとも彼の根幹にずっと根付いているものなのかはわからなかったので。そしてふと思ったんですがそれこそ注文の多い料理店とかそういう話は小野瀬はどのように読み解くのかちょっと気になります。あれは「人間」と「山猫」との区別がされているからまた別なのかな。


茜の解釈。最初からなんとなく謎めいていた茜の読み解きはがつんとやられました。これは自分の話だ、自分のことが書いてある、そう主張した茜。でもなぞらえていくと鳥肌が立つくらいぴったりで、もしかしてほんとうに彼を見ながら書いたんじゃなかろうか、そんなことも一瞬考えてしまいました。茜は彼曰くネジがどこか外れている人間。女の人を好きになれなくて、かといって男の人と結婚もできなくて、だから子供も残せない。にんじんはアレの暗喩で、そんなにんじんももう10年も食べていない。うさぎレストランとはつまり彼のような人間が集うお店のことで、そこで自分は食べられると思った。もうずっと食べていないのに、食べられると思った。
そう語りながら野比に襲い掛かる茜には恐怖すら抱きました。ていうか一回すごい音でがん!!!ってなにかがぶつかった音が聞こえた気がしたけど演出だよね…ってすごい怖かったです怖かった。そしてなにが怖かったってそのあとしれっとしている茜がすごくこわかったです…。たぶんいつもは自分を律せる人なんだろうけど一度タガが外れるとああなっちゃうんだなあって。人を「食べている」ときだけ自分が自分であると感じることができると言った茜。食事会の中でだれよりも明るくて社交的に見えて実は自分のことすら自分だと認識できない人で、そのバランスがすごかったです。最後に名前を呼んでもらうところでちょっと救われたのかなとわたしは都合のいい解釈をしておきたい。


いろんな解釈があったんですけどこの世界にはたぶんインターネットがあるわけで、もしかしたら「【飛び跳ね】うさぎレストラン考察スレpart26【できたわ】」みたいなスレッドも掲示板では盛んなのかなとも思いました。話を聞く限り人気が出てるみたいだしこの人数だけでもいろんな読み解き方があって解釈があって…ということは全国のいろんなひとがじつは「これ裏の意味あるだろ~」って思っているかもしれないなと。

 

さて、書き出してみただけでこんなにも多種多様な解釈が生まれたわけで、じゃあこの解釈のどれが正解なんですか!というと答えは「わからない」というわけで。そしてここからだんだんとネタバレがなされていくわけで。
結局うさぎレストランの食事会は「食事会」というのは建前で、本当は朝比奈先生の作品への意見をぶつけ合う「意見交換会」だった!…と言うのも建前で、実は2年前に亡くなった朝比奈先生のお子さんの残したうさぎレストランという作品の解釈を知りたいがために先生がお子さんと同じ名前の「ユウスケ」さんたちを集めた会だった!…というのも台本で、実は子供は死んでおらず、朝比奈先生が面白いことを集めるために、次の作品へのヒントを得るために行った一種の余興だった!…と、次々と「じつは!」「じつは!」という答えがくるくると出てきました。
でも、わたしなりにこの作品を「解釈」するとしたらこの「じつは息子は死んでいませんでした!」っていうところから嘘だったりしないかなとぼんやり思いました。なんでかっていうともし嘘だとしたらその嘘に感情を爆発させて嘘の死を突き付けられた野比くんがかわいそうで、更に「うさぎレストランは亡くなった息子の書いた作品」という考え方を植えつけられてこの先うさぎレストランを読まなくてはいけなくなった読者のみなさんがかわいそうだなとまず思ったからです。つまり騙されているのが納得いかなかったというわけです。そして本当に「息子さんが死んでいた」というのが嘘だとしたら、あまりにも先生と染谷さんの演技が巧すぎるなと思ったのもひとつです。演技をしているならもっと演技をしているように見せてくれてもよかったと思うし、一介の作家と編集者にしてはあまりにも芸達者すぎると思ってしまいました。そしてもし息子さんが亡くなっていなくて、あれが朝比奈先生の作品であるとしたら2年間新作が出なかった理由、そして鹿山さんや染谷さんがが指摘していた朝比奈作品らしからぬ書き方の理由がつかなくなってしまうなと思ったのもあるからです。鹿山さんは騙された側だからまだわかるとして、事情を知っている染谷さんがそれを指摘する(直接そうは言っていなかったと思うのですが言葉の選び方ひとつとっても~みたいな台詞があった気がします)のはなんだか変だなと思いまして。
あと子供の存在を示唆したタオルも、あれが本当にユウスケくんのものだとしたら朝比奈先生がすごい物持ちのいい人ならわかるんですがもう独り暮らしを始めて家にいない息子の持ち物をわざわざ仕事場にまで持ち込むか…?と思ったわけです。だから本当にユウスケくんは亡くなっていて、ずっと大切にしているのかなって。でもそんな大切なものを客人に貸すか?とも思いましたし、朝比奈先生の下の名前って「やよい」で「Y」なんであれが先生の趣味で先生の持ち物って可能性もあるのでタオルだけで断定するのはむつかしそうです。
じゃあ真相はどうだったかっていうと、これはあくまでわたしの拙い読み解きなんですが、本当にユウスケくんは亡くなっていて、あの作品もユウスケくんの遺したもので、でもそれを認めたくない朝比奈先生がユウスケはまだ生きていると思い込んで勝手に誰かをユウスケに仕立て上げているとか…?と思ってしまったんですがこれは「解釈」を通り越した「妄想」でしょうか(笑)。最後のシーンでユウスケと先生の電話が描かれていますが、それがなんかどうも違和感でして…というところから小さな脳みそをがんばって回転させて導き出した読み解きがこれでした。でもやっぱりユウスケくんが死んでいないとしたらいろんなことが納得いかなくて、こんな言い方は変なんですがユウスケくんが本当に亡くなっていた方がいろいろ合点がいくのがわたしの思考回路です。
それが意識的だったのか勝手に自分がそうとらえてしまったのかはわかりませんが、朝比奈先生はどこか異質なものに思えました。それは登場人物の中で唯一の女性だったからかもしれませんし、うさぎと同じ色の服を着ていたから最初から「どこかちがう」感が出ていたかもしれません。ただもしかしたら朝比奈先生がどこかで心を壊してしまっていて、そのためにああいう雰囲気になっているとしたらこの異質な存在への違和感も納得がいくかなあとおもったわけで。考えすぎかな…。とにかくもしユウスケくんが死んでいたというのが嘘だったら野比くんも鹿山さんもそして嘘に付き合わされてあんな演技をさせられた染谷さんもみんなみんなかわいそうって思ったんです!


そして朝比奈先生の異質さとは別に野比くんという存在の異質さも感じました。そもそも野比くんを演じた玉城さんのお名前がいちばん上にあって、玉城さんが主演で座長さんなわけで、まあこのひとはなにかあるだろうなというのはずっと最初から思えてはいたんですが、それにしても野比くんの存在感がありすぎてびっくりしました。ただの引きこもりじゃないぞこいつ、ってなりました。ひとことひとことに重みがあってきっとなにかある、きっとこいつはすごいものを持っている、と変に構えて見てしまったのが少し残念でした。もっとまっさらなきもちで見ればよかった。あの隠しきれないオーラはなんだったのだろう。でも野比くんが内に秘めている友人への想いとかそういうものがにじみ出ていたということなんでしょうか。それからあと個人的には最後ぜんぶこういうことだったのよー!って全部解釈を決められてしまった感じがしてそれがちょっと窮屈ではありました。と、言いながら実はそれは違ったんじゃないか?なんて読み解きしてるから結局なにを見せられようが自分なりに都合よく読んでいるんですけど。


野比くんはうさぎレストランがどうしておもしろいかわからなくて、でもそれはきっとこの本をくれた友人がそう読んでほしいからだと思いましたって最後に言ってくれて、つまりはそういうことだよなってなんだかとても納得しました。都合よく読んじゃえばいいじゃん!っていうのはよく自分にも言い聞かせてますが作品のほんとうの意味なんて書いた人にしかわからないしもしかしたら書いた人間にすらわからないかもしれないし、だからこれが正解ですって出されるよりは「もしかしたらこうかも」「いやいやこうなんじゃないか」っていろんな意見が出てくるあたりでストップした方が楽しいんじゃないかな~っておもいました。
たまたまわたしも学校の講義でそういうことをしたことがあって、わたしの作品を20人くらいの学生とそれから教授が読んでくれて意見や考察をA4のレジュメいっぱいに書いてひとりひとり発表してくれる…ってのがあったんですけど「で、ここの解釈はこれで合ってますか!」とか聞かれてもそんなんわからんよむしろいま言ってくれた後輩くんの解釈のがわたしの本筋よりおもしろいよそれもう正解でいいよ~ってなった経験が何度かあったので、なんだかこの作品は自分でも予想外なところでなんども「そうそう!」とか「そうじゃないんだよ~!」ってなりました。作者がなんのために書くかは作者の自由だし、読者がどのように読むかも読者の自由だし、だからその自由はだれにも平等にあるからこそ誰にも押し付けなくていいし誰にも強制しなくていいし、できれば正解はなくてもいいんじゃないかなって思いました。あのうさぎレストランを朝比奈先生が書いていたにせよ本当にユウスケくんが書いたにせよ、その「裏の意味」なんてもしかしたらさっぱりなかったかもしれなくて、ほんとにらくがきの一環だったのかもしれなくて、じゃあもう裏の意味あってもなくてもいいじゃんって、好きなように読めばいいじゃんって。もしかしたら間さんのが正解かもしれないじゃんって。そう思いました。
それと同時にわたしたちはたぶん無意識に作家とか、画家とか、作曲家の名前で作品を区別している節があるなあとも思いました。それこそ今回のうさぎレストランを見に行った理由はただほさかようさんという演出家さんが好きだからです。でもだからこそ「ほさかさんだからおもしろいはず」という先入観や期待度が胸の奥にたぶんあったんじゃないかなって思いました。だからって別に過大評価しようとか逆にほさかさんだって期待したのに!とかはないんですけど、ないつもりでいるんですけどもしかしたらわたしたちは無意識にそれをしているのかもしれない。間さんや鹿山さんみたいな。朝比奈先生だから!朝比奈先生なのに!これをゼロパーセントにするのはむつかしいとはおもうんですけど、できればそういう色眼鏡なしでいろんなものを楽しんでいきたいなともおもいました。

 

というわけで感想なんだかよくわからないだらだらとした文章はここらでやめておこうと思います。いざ書こうと思ったらなにから言っていいのやらってかんじでしたがこれだけいろんなことを考えるなら結末を知ってからもう一度見たかったなと思ってます。いっつもそれ後悔するからさいしょから2公演押さえておけばいいんだよなあ…。結末を知っていたらわたしも八蜘蛛さんみたいに「いつだれが殺されるんだ!!!」ってハラハラすることもなかったのに!(笑) わりとその展開あるんじゃないかと中盤まで身構えてました。なかったね。あと寿里さん演じるうさぎがとっても不思議でそれでいてとっても面白くてあの現実と虚構をあいまいにするかんじすきだな~っておもいました。キャラクター的にすきだったのは八蜘蛛さんです!
最初にも言いましたがこれを見ると「うわっわたしの感想、幼稚すぎ…?」って変に身構えてしまう機会が多くなるかもしれないな~と思ってしまったんですが、都合よく解釈しちゃえばいいじゃん!という言葉を信じてわたしはこれからも都合よく解釈を続けていこうとおもいました。そういえば都合よく考えちゃえばいいよ、っていう言葉を聞いてわたしは「虚言の城の王子」という作品を思い出しました。これもほさかさん作の空想組曲の作品でしたが、人を救う言葉はなにかの押し付けではなくて自分なりに好きにとらえればいいじゃんという逃げ場をつくることなのかもなと改めて考えたりもしました。


ほんとーにとりとめもない!いろいろ確認したいのでニコ生がたのしみです。そして次の組曲公演やそのほかいろいろ待ち構えてるほさかさん脚本の作品もそわそわしながら待機しようとおもいます!すてきな作品をありがとうございました!